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仮面ライダークリーツ外伝
「仮面ライダー雪奈 -ライダーは小学生-」

東京都広川市 南小学校
13時50分

 教室に、担任教師からの連絡事項が響く。
 その言葉を少女は背筋を伸ばして聴いていた。黒い長袖のシャツと、重度の皮膚病(と、言うことになっている)を隠すための手袋をはめた右腕を膝の上に置き、一言一句をかみしめるように教師の言葉を聞く。
 ふと、左腕が叩かれる。
 目線を左に送ると、隣に座っていた同級生、幡野恵子(はたの・けいこ)がにこやかな眼差しを雪奈に送っていた。
「雪奈ちゃん。帰りに、少し寄り道しない」
「ごめん。私、今日は用事あって」
 雪奈。そう呼ばれた少女は……浅井雪奈は小声で恵子の誘いを断る。
「サガットがどんなアクセサリーをしても無駄じゃねえか」
 斜め後ろの席で、男子が呟く。アイパッチで左目を隠している雪奈の姿は、同年代の子どもたちの間では奇異に映るらしい。学校に対しては眼の病気のためにアイパッチを装着していると説明しているし、担任を通じて、クラスメイトにその事は知られている。それでも、雪奈の左目を誹謗の材料として使う者は一定数存在した。
 雪奈は膝の上で拳を握る。雪奈とて、好きでアイパッチを着けているわけではない。いっそアイパッチの下にある物を見せた上で、一度本気で殴ってみようかとも思う。もっとも、実行に移さないだけの自制心はある。実際に拳を振るえば、雪奈を受け入れている多くの大人に迷惑がかかる事は容易に想像できた。
「ちょっと、男子」
 振り向きつつ、恵子が声を荒らげる。彼女の耳にも男子の悪態は聞こえていたらしい。
 と、
「そこ、私語をしない」
 担任の教師に咎められ、恵子が憮然として正面に向き直った。
 雪奈も担任教師に視線を戻す。背後からは、勝ち誇ったように男子が鼻を鳴らす音が聞こえる。正直、教師が私語を咎めたタイミングには大いに不満がある。だが、そんなことでホームルームの終了を……即ち、帰宅できる時間の到来を遅らせたくはなかった。
「さて、ニュースで見た人もいるかもしれませんが、昨晩、広川市で未確認生命体がでました」
 未確認生命体出現。
 その言葉に雪奈の眉がつり上がる。未確認生命体とは、2000年1月よりおよそ1年間にわたって多くの日本国民を殺害した、動植物を模した姿と能力を持った人類とよく似た生物のことだ。事件発生から1年6ヶ月後、古代から蘇ったと推定される未確認生命体の内ほぼ全ての死体を確認したため、警視庁は事件の終息を宣言した。
「幸い、未確認が出てきたのはこの学校の通学路からだいぶ離れていますけど、寄り道しないでまっすぐ帰るようにしてください」
 担任の真剣な声を聴きながら、優華は眉を寄せる。
 事件を起こした犯人……未確認生命体の正体に雪奈は心当たりがある。
 秘密結社テクジス。半年近く前まで存在した、世界征服を企む悪の秘密結社である。人間の遺伝子を改造した上で人工臓器を埋め込んだ動植物の遺伝子と特性を持った生体兵器・改造人間を主戦力として世界の統一、そして世界の改造そのものを目指して暗躍した。
 組織そのものは壊滅したが、かつてテクジスに所属していた改造人間の中には平和な社会に戻れずに、強盗や破壊活動を行う者も少なくない。
 今回の犯人も、一般社会への復帰に失敗した改造人間だろう。部族全ての死体が確認された未確認生命体よりも、そちらの方が遙かに可能性が高い。
「又、未確認生命体は人間に化けているかもしれません」
 思わず、雪奈は右腕を押さえる。長袖のシャツの下から、長袖の手袋の感触が伝わってくる。
「雪奈ちゃん?」
 不意に、恵子が心配そうな声で優華の顔をのぞき込む。
「顔色悪いけど、大丈夫? 男子の言う事なんて、気にしなくて良いから」
「大丈夫」
 震えを押さえながら、雪奈は答える。
「そんな事より、先生が言ったとおり、今日は早く帰ろう」
「うん、そうだね。人間に化けている未確認と有ったら怖いし」
 小さいが明るい声で答えると、恵子が正面に向き直る。
 その後、特に変わったことはないまま、帰りのホームルームは終わりを告げた。


東京都広川市南区某所
14時10分

 浅井雪奈は通学路から少し離れた公園のベンチに一人座っていた。周囲に人影はない。未確認生命体出現のニュースを聞いて、多くの人々は外出を控えているのだろう。
「未確認が近くにいたら怖い、か」
 恵子の言葉を思い出しながら、雪奈は右腕をさする。
 長袖のシャツに隠された、昆虫の外骨格にも似た硬質の感触が伝わってくる。
 雪奈の右腕と両足、そして左目は人間の物ではない。
「……たぶん、私も他の子から見たら未確認に見えるんだろうな」
 いいつつ、雪奈はベンチの座席に左手をおく。金具の冷たい感触が伝わってきた。雪奈が知る限り、現在通っている小学校に自分の同類はいない。
「結局、ひとりぼっちなんだ。私」
 そうつぶやいて、雪奈は空を見上げる。急いで帰宅するべき事はわかっている。だが、何故か立ち上がる気分になれなかった。
「あ……あの」
 ふと、雪奈にか細い声がかけられた。
 顔を上げると、腰まで届く長髪の少年が雪奈を見下ろしていた。見覚えがない顔をしている。この辺りの小学校に通っている子供ではないのかもしれない。
「と、隣に座って、良いかな?」
「うん。良いけど……」
 雪奈の返事を聞き、少年が遠慮がちにベンチに腰を下ろした。長髪にかすかにこびりついた水滴が、日の光を反射して冷たくきらめく。
 不意に目に飛び込んだ光に吸い寄せられるように、雪奈は少年を見つめる。痩せている体型。くたびれた上に薄汚れている服。そして、公共の場の水で体を洗っても体にこびりついた体臭。どことなく、現在の保護者と知り合う前の……否、テクジスと敵対していた組織に目を付けられる前の自分に似ている気がする。
「君は……僕のこと怖くないの?」
「全然」
 雪奈は首を横に振る。少年は自分の身なりから、不信感をもたれていないのか気になったのだろう。少々身なりが怪しい少年など、雪奈がおそれる対象にならない。テクジスとの戦いが続いていた頃は、雪奈も少年と同じカテゴリーに所属していた。
「あなたは……私のこと、怖くないの?」
「別に」
 事も無げに少年が答える。
 思わず、雪奈は微笑む。平和な世界で暮らしているはずのクラスメイトからも、自分の姿は侮蔑の対象になる。だが、彼らよりも過酷な世界に生きているはずの少年が自分の姿を受け入れてくれた。その事が、ただうれしかった。
「君、学校に通っているの?」
 雪奈の通学鞄を凝視しながら、少年が問う。
「うん。そうだよ」
 雪奈はかすかに俯き、はにかんだ。
「もしかして、あなた……」
「晴彦、何をしている!」
 不意に、遠くから聞こえてきた男の声が雪奈の質問を遮った。
「ごめん。行かないと」
 晴彦と呼ばれた少年が震える声と共に、バネ仕掛けの人形のように立ち上がる。
 その姿に、雪奈はかすかな懐かしさと胸の痛みを覚えた。現在の保護者に会う前の雪奈も、今の彼と酷似した表情で親や監督者の指示に従っていたはずだ。
「ねぇ。明日も今くらいの時間に、私は此処にいるから!」
 去りゆく少年に、雪奈は叫ぶ。自分の姿を見ても怖がらない同年代の少年との出会いを、これっきりにしたくなかった。
「私は、浅井雪奈って言うの!」
 雪奈の叫び声が届いたのか、少年が足を止める。
 そのまま数秒だけ名残惜しそうに雪奈の姿を見つめてから、先ほど声が響いてきた方向に向けて駆けていった。


翌日
東京都広川市 南小学校
8時10分

 ホームルームを待つ子供たちのざわめきが教室の中を流れている。前日に発売された週刊マンガ雑誌の話題に混ざって、ワイドショーを情報源とした未確認生命体に関する子供なりの意見交換も聞こえる。
 そんな喧噪の中、雪奈の視線は幡野恵子の通学鞄に引きつけられた。
 昨日は着けられていなかったはずのキーホルダーが鞄に装着され、燦然と輝いていた。
「幡野さん。それは?」
 キーホルダーを指さしながら、雪奈は問う。昨日、雪奈たちは担任教師から寄り道しないで帰宅するように言われていた。寄り道をする暇など無かったはずだ。
「良いでしょ、雑誌の懸賞で当たったんだ」
「へぇ……良いなぁ」
 雪奈が素直な感想を口にすると、恵子が得意げに胸を反らした。彼女自身にとっても、新しいキーホルダーは自慢の品なのだろう。
「ねぇ、幡野さん」
 不意に、優華の頭の中である疑問がわく。
「雑誌って、お小遣いで買ったの?」
「そうよ」
「お母さんやお父さんが、働いたお金から出た?」
「……ま、まぁ、遡ってみればそうなるかもしれないけど」
 雪奈の問いに、恵子の顔がひきつる。
「でも、私だって頑張っているんだからね。家の手伝いしたり、テストで良い点取ってプラスしてもらったり……」
 恵子の力説をBGMに雪奈は思案する。
 両親が働いて稼いだ給料から、自分の小遣いはでている。間違いなく、恵子はそう言っていた。そして、小遣いを貰ったり金額を上げる手段として手伝いや勉学を頑張っているとも言っていた。
 ようするに、恵子の両親は、そして、恵子自身も真っ当な手段で金銭を得ているという事だ。
 現在の体になる前の雪奈とは違う。
 雪奈が冷めた眼差しを送っていることにも気づかないのか、恵子が自分の両親の口を熱く語る。曰く、両親は以外と厳しい。曰く、言いつけを守らないと怒られる。良い子であると言う評価を受け、小遣いを貰うために自分は日夜頑張っている。
 彼女の発言に嘘はあるまい。
 だが、恵子の両親の眼差しや心中はATO・ミスクズ同盟の技術者や雪奈の実の母親とは異なる筈だ。恵子の両親は彼女を怒ることがあっても、彼女の価値自体を否定することはしないだろう。ましてや、恵子に犯罪をさせるようなことも絶対にない。
 前々から気になってはいた。
 このクラスで自分は孤独だ。テクジスとの戦いが続いていた頃は周囲に雪奈と似たような境遇の子供が大勢居た。だが今のクラスには、この国で生まれ育ちながら行政から存在を忘れられた経験がある子供は居ない。自分が長い間当然と思ってきた共通認識が通用しない。ましてや、怪物の体の一部をその身に宿した存在は居ない。その事を感じて寂しくなるときがある。
 恵子の様な善良な子供が声をかけてきてなお、浅井雪奈はこのクラスで独りだった。
「幡野さん。変なこと聞いて、ごめん」
 俯き、消え入りそうな声で言いつつ、雪奈は考える。自分にとって同類と呼べる存在は、昨日であった晴彦と言う少年以外にいないのではないか。何となしに、雪奈の脳裏をそんな考えが支配していった。


東京都広川市南区某所
14時13分

 昨日と同じ様な時間に公園に来てみると、すでに晴彦がベンチに座って待っていた。
 雪奈の到着に気づいたのか、ベンチから立ち上がって手を振る。
 その招きに応じて、雪奈は彼の元に駆け寄った。
 晴彦の元に駆け寄った雪奈は、彼の顔をしばらく凝視してから吹き出す。
「何かついている?」
「水滴」
 雪奈に指摘されると、晴彦が驚いた表情で自分の頬をさわる。雪奈が指摘したように晴彦の全身には水滴が滴っている。
「そこら辺の水道で、慌てて体洗ったんでしょ」
「それは……まぁ」
「やっぱり。私も、昔は同じ様な事をしていたんだ」
「昔は?」
 晴彦が目を見開く。
「じゃあ、君も……」
「うん。昔はお家がないまま、色々なところを旅していた」
 声をかすかに沈ませて、雪奈は答える。かつて、雪奈はいわゆる居所不明児童だった。両親の間に何があったのかは知らない。だが、小学校に上がる少し前には、母親やその交際相手と共に、3人で関東一円を転々とする生活を繰り返していた。
「引っ越してばっかりで、学校にも通えなかったし、泥棒をしろって言われたこともあった」
 雪奈は無意識のうちに自分の体を抱く。母親達が住民票の移動をしなかった為に、雪奈は修学の機会を奪われ、生活保護すら受けることも出来なかった。そんな中、母親や交際相手が働く気にならないと言い出したりホストクラブやギャンブルで散財した時などは、雪奈にたびたび窃盗をさせる事もあった。住民票を削除され、学校に行くことすら出来なくなった雪奈とって、母親やその交際相手以外に頼るべき……否、接点を持つ大人は居ない。彼らの指示に従う他に術はなかった。
「そっか……」
 晴彦がぽつりと言う。
「本当に、僕と同じなんだ」
 晴彦の告白を雪奈は当然のように受け入れていた。薄々、かつての自分と同じ様な境遇にある子供であると見当をつけていた。
 ふと、公園の近くに大型の車両が止まったようなブレーキ音が響く。
 周囲を見渡すと、おやきの屋台が車を止めて営業を始めようとしていた。
「ねぇ、あんなお菓子のは好き?」
「分からない」
 目を点にして屋台を見つめたまま、晴彦が答える。
「食べたことないや」
「じゃあ、私が奢ってあげる」
 そう言って立ち上がると、雪奈は通学鞄の奥底に隠していた財布を取りだした。幡野恵子に誘われたときなどに、小物を買うために持ち歩いていたものだ。
「良いの?」
「うん。昨日と今日、会ってくれたお礼」
 戸惑いがちな晴彦に明るく答えつつ、雪奈は財布の中を確認する。
 と、硬貨を数える途中、勢い余って100円玉が財布の外に飛び出て、地面に落ちた。
 雪奈が手を伸ばすより先に、晴彦が地面に落ちた硬貨を指で摘みあげる。
 晴彦の指の中で、100円玉が粘土細工の用にひしゃげて、二つに折れた。
「もしかして、あなた」
「ち、違うんだ」
 晴彦の顔が青ざめる。
「僕は未確認とかじゃなくて……」
「ATO・ミスクズ同盟の実験体」
 雪奈が言うと、晴彦の目が大きく見開かれた。
 晴彦が驚いている間に、雪奈は自分の右腕の力で、無理矢理100円玉を元の状態に戻す。
「私と、同じ」
 ATO・ミスクズ同盟。それは、かつて秘密結社テクジスと敵対していた組織の名前だ。元々はテクジスの犠牲者が中心となって結成されたATOと、改造人間の失敗作を中心として結成されたミスクズと言う別の組織だったが、いつの頃か等か、共同の敵であるテクジスと戦うため手を結ぶようになり、気づけば同一の組織と言っても差し支えない存在になっていた。
 雪奈がATO・ミスクズ同盟と関わりを持つようになったのは、荒んだ生活を繰り返していた頃のことだ。
 当時の同盟は、自前の改造人間の研究に力を入れていた。
 未確認生命体用強化服の改造、そして武装を施した義肢の開発を経て、ようやっと人体の一部を生体改造する段階にこぎ着けたが、大きな問題にぶち当たった。
 被験者として適当な人間が見つからなかったのだ。直接的な戦闘力はテクジスに劣っている彼らには、すでに正面戦闘を担当している者を改造手術の実験をするような余裕は無い。仮に手術に成功したとしても、部分改造には改造を施していない部位に大きな負担をかけ、被験者の戦士としての寿命を大幅に減らすと言う重大な欠点がある。
 そこで、日本で活動するATO・ミスクズ同盟は全国に散らばる居所不明児童に目を付けた。組織に所属していない彼らの改造手術に失敗しても、同盟に損失は一切無い。少年兵の例に漏れず、戦力としての教育が容易である事も大きな利点と判断された。同盟の中にも子供で実験することに反対する意見もあったという。だが、雪奈が同盟と関わりを持つ頃には、「勝利のため」と言う理屈で反対意見はかき消されていた。
「もしかして、その手は……」
「うん。アリノロジーの外骨格で覆われている」
 幾ばくかの金銭と引き替えにATO・ミスクズ同盟に引き渡された雪奈は、そこで劣悪な技術による改造手術を受けた。体の一部に強化細胞を移植された事もある。テクジスの主力改造人間・アリノロジーの体の一部を移植されたこともあった。
 現在、雪奈は重度の皮膚の病気と言うことにして、右手や両足を人目にさらすことはない。実を言えば、雪奈の手足に病気はない。ただ、アリノロジーの細胞を移植され、昆虫の外骨格に覆われた怪物同然の外見と力を持っているだけだ。雪奈が手足を隠す本当の理由は、この怪物同然の姿を隠し通すことにあった。
「そっか……」
 晴彦が安堵したような笑みを浮かべる。
「本当に、僕と同じなんだ」
「うん。同じ」
 同じように、笑みを浮かべて雪奈は答える。今、この晴彦という少年と出会うことが出来てうれしかった。彼こそが学校で会うことが出来ない、かつての自分との価値観を共有してくれる存在に他なら無い。
 弾む気持ちと共に、二人分のおやきを購入して片方を晴彦に渡す。
 晴彦が宝物を見つめるような眼差しで100円の菓子を見つめていた。
「どうしたの? 暖かいうちに食べた方が美味しいよ」
 雪奈に促され、晴彦が温かいおやきに口を付ける。一口一口、小学生の小遣いで変える程度の菓子を噛みしめるようにほおばる。雪奈も現在の保護者に会うまで、温かい食事に巡り会うことは少なかった。晴彦がおやきを大事そうに食べるのも当然のことだ。
 おやきを味わっている晴彦の姿を見ているうちに、雪奈の頭にある疑問が浮かぶ。
「そう言えば、お薬はどうしているの?」
 未成熟な技術で無茶な部分改造に踏み切ったためか、ATO・ミスクズ同盟の実験体の体には大きな負担がかかっている。
 その為、雪奈達実験体は体の負担や激痛、拒否反応などを和らげる薬を定期的に接種しなければ行けない。
「もう無いんだ」
 晴彦が言う。当然といえば当然の結果だった。テクジスとの戦いの最中はATO・ミスクズ同盟が雪奈たちにとって必要な薬物を提供していた。だが、そのATO・ミスクズ同盟は壊滅している。バルログと言うATO・ミスクズ同盟とは別の組織に所属していた医師(かつては、テクジスの技術者だったらしい)から代わりの薬を支給されている雪奈と異なり、不安定な境遇で暮らす晴彦が新たな薬を入手する手段はないはずだ。
「そっか。じゃあ、分けてあげる」
「いや、いいよ」
 穏やかな声が、鞄の中身をまさぐろうとした雪奈の手を止める。
「今の僕は、薬が無くても大丈夫なんだ」
 雪奈は目を丸くした。
「薬がきれて苦しかった頃もあったけどね。気づいたら、拒否反応や力を使った反動とかの痛みを感じないようになっていたんだ」
「そんな事……あるんだ」
「うん。僕も、実際に痛みが引くまでは驚いたけどね」
 晴彦が穏やかな表情で言う。
 その横顔を、雪奈は惚けた表情で見守っていた。彼の発言が事実ならば、晴彦は人間が自然に持っている環境適応能力だけで、拒否反応を初めとする実験体を苛む苦痛を克服したことになる。それはATO・ミスクズ同盟の技術者が、それ以上に雪奈たち当の実験体が願ってやまなかった偉業そのものだ。そんな偉業を達成しても偉ぶらない態度は、彼が自分よりも遙かに強い人間である証拠のように思えた。
 不意に、晴彦が怪訝そうな目つきを雪奈に向ける。
 雪奈は頬を赤くしたまま正面に向き直り、購入したばかりのおやきに口を付けた。
 ふと、雪奈は昨日のホームルームを思い出す。広川市に未確認生命体が現れた。担任の教師は、確かにそう言っていた。
 担任が言っていた未確認は目の前にいる少年ではないか。
 そんな疑問が雪奈の脳裏をよぎる。
 が、すぐにそんな疑問を頭から追い出す。目の前にいる気弱そうな少年が誰かを傷つける訳がない。
 自分と似た境遇の友人が出来た喜びを噛みしめながら、雪奈はおやきをほおばった。
 

翌日
東京都広川市南区 大千葉探偵事務所
7時15分

「雪奈、今日は妙にうれしそうだな」
 モヤシを多用した朝食を食べる雪奈に、現在の保護者・大千葉二郎が声をかけた。
「何か良いことでもあったか?」
「何でもない」
 それだけ答えて、雪奈は朝食を続ける。自分とて、もう10歳になる。保護者に知られたくない秘密の一つや二つあっても良いはずだ。
 そんな雪奈に、二郎がどことなく困惑したような表情で見つめている。大千葉二郎に出会ったのは、テクジスとの戦いのさなかのことだ。雪奈が改造手術の実験台として引き渡された頃、ATO・ミスクズ同盟は改造された子供達を戦力として再編成するに当たり、監督役の大人とペアで行動させる方針を採っていた。二郎は監督役の不足を補うために、当時の任地であったアフリカの小国から呼ばれたという。
 雪奈にとって、二郎と出会えたことは幸運だった。ATOに参加する以前から別の組織でテクジスと戦っていたと言うこともあり、当時の監督官の中では二郎はいささか風変わりな人間だった。それまで雪奈が関わってきた大人……即ち、雪奈の母親やATO・ミスクズ同盟の技術者、そして教官と比べて二郎は雪奈の心身を気遣った言動が多かった。二郎がかつて所属している組織で……バルログで自分に好意的な態度をとる大勢の大人と会えたことはATO・ミスクズ同盟時代の雪奈にとって貴重な思い出だ。二郎こそ、人生で初めて巡り会えた、雪奈を子供として尊重し、気遣ってくれた人間とも言える。
「また、あいつらか。今度はこの辺りに近いな」
 二郎がテレビから流れる、未確認生命体の強盗のニュースを見て顔をしかめる。
 現在、二郎は私立探偵をしている。もともと、ATO・ミスクズ同盟に参加する以前の職らしい。通常の探偵業の他、二郎はテクジスやATO・ミスクズ同盟の残党による犯罪を独自に調査していた。テクジスや同盟の実態を知るものとして、テクジス壊滅に関わった仲間と共に、社会復帰に失敗した出戻り組の強行を阻止すべく日夜奔走している。
 真剣な眼差しでテレビを見つめる二郎をよそに、雪奈は朝食を口に運ぶ。二郎のことも気にならないではないが、今日、放課後に再び晴彦に会うことが楽しみでたまらなかった。
 ふと、昨日の晴彦の言葉が雪奈の脳裏をよぎる。食器をみると、モヤシを多用していることが……即ち、保護者である二郎の家計が苦しいことがありありと分かった。
 自分もまた、二郎に負担をかける薬に頼っている場合ではないのではないか。
 そう思った雪奈は、ゆっくりと口を開く。
「二郎。私、お薬を減らした方が良いのかな?」
「どこか苦しいのか?」
 心配そうな表情を向ける二郎に、雪奈は首を横に振る。
「お薬高いし……それに、もしお薬をやめたら、拒絶反応にもなれて痛みもそのうち無くなるかも……」
 二郎は盛大なため息をつくと、箸をおいて雪奈をまっすぐに見つめた。
「雪奈。金のことは気にしなくて良い」
「でも……」
「今だって何とかやって行けているし、医者だって支払いが出来なくなっても色々考えてくれるさ。お金のことは心配するな」
 雪奈は思わず顔をしかめる。
 医者の善意を期待している時点で駄目なのではないか。
 そう反論する前に、二郎が言葉を続けた。
「それにな、薬をやめて痛みを感じなくなったとしても、それはお前が拒絶反応を克服した証にはならない」
「どう言うこと?」
「言ったとおりのことだ。痛み止めの注射を打ったってけがを完治したわけにはならないだろ?」
 雪奈は頷く。
「手術の拒否反応もそれと同じだ。痛みに慣れたとしても、現実にお前の体へのダメージが消える訳じゃない。拒絶反応を克服するどころか、単にダメージを体に溜めるくせに危険に気づけない体質になるだけだ
「……けど」
「お前が言うように、薬は少ない方が良いことはお医者さんだって分かっている。お前が本当に大丈夫だって確証さえもてれば、きちんと減らしてくれるはずだ。だから、しばらくは心配するな」
「わかった」
 一言返事をして、雪奈は朝食に戻る。正直に言えば、二郎の言葉に完全に納得したわけではない。それでも、朝の貴重な時間をこれ以上浪費したくなかったし、二郎の考えを崩して晴彦のような生活を納得させるための理屈も思いつかなかった。
「雪奈」
 不意に、二郎が怪訝そうな声を出す。
「この家、お前のクラスメートの所じゃないか」
 驚きながら、雪奈は視線をテレビの画面を注視する。
 ある一家が未確認生命体と思われる怪物に襲われ、両親が死亡、一人娘が重傷を負ったと言う趣旨の音声が流れている。
 その被害者として、幡野恵子とその家族の顔写真が映っていた。


東京都広川市 南30条東10丁目 病院
14時13分

 雪奈が恵子の見舞いに訪れたのは、学校の授業が終わってからだった。本音を言えば、今日の授業を休んででも見舞いに行きたかったが、二郎に止められてしまった。
「幡野、さん?」
 病室に入るやいなや、雪奈は惚けたような声を出した。
 幡野恵子はベッドで上体を起こし、生気が抜けたような表情で正面を見つめていた。普段、学校で会っている快活さはどこにも見あたらない。
「雪奈ちゃん。」
 恵子がゆっくりと、雪奈に顔を向ける。
「お見舞いにきてくれたの?」
「うん」
 雪奈は弱々しく相づちを打つ。目の前の打ちひしがれた少女が、普段自分に元気よく声をかけている少女だとは信じられなかった。
 窓を閉めているはずなのに、近くの道路の喧噪が病室内に響く。
 無言で、雪奈は恵子を見つめる。何か言わないと行けないはずなのに、喉が萎縮して言葉が出てこなかった。
「私、転校するんだ」
 呟くように、恵子が言う。
「退院すると、おじいちゃんの所に引っ越すことになったから」
 恵子の平坦な声が響く。
 雪奈は無言で友人を見つめていた。友人を励ましたい気持ちはある。かつて、大人達から兵士として扱われて最前線に送られた人間として、友人が立ち直るきっかけになるような言葉を贈りたい。だが、今何をいっても恵子を傷つけるだけな様な気がした。
「何か、贈り物あげれればとも思ったんだけど、あいつらに取られちゃった」
「気にしなくても良いよ。私も、何もなかったし」
 恵子を励ましながら、雪奈は考える。恵子の言葉を信じるならば、テクジスやATO・ミスクズ同盟の残党が小学生の持ち物を奪った事になる。子供である雪奈にも、にわかに信じがたい話だった。大人がさしたる金額にならない、キーホルダーに執着するとも思えない。
「ねぇ、雪奈ちゃん」
 消え入りそうな恵子の声が、雪奈の意識を呼び戻す。
「どうして、私なの」
 恵子の呟きに、雪奈は目を見開く。
「お父さんもお母さんも、悪い事をしていないのに。どうして、私が未確認に襲われないといけないの」
 そう言って恵子が振り上げた腕が空を切る。
 雪奈の胸を叩くつもりだったのかもしれないが、今の彼女の右腕には肘から先が存在しなかった。
 級友の胸をたたけなかったことが惨めさを増幅させたのか、恵子の眼に涙がたまる。
「どうして……どうして……」
 嗚咽混じりに、残された左腕でベッドに拳をたたきつける友人の姿を、雪奈は黙って見守る事しかできなかった。


東京都広川市南区某所
15時20分

 恵子が落ち着いた事を見届けてから、雪奈はこの数日、晴彦と会っていた公園へと足を運んだ。彼と出会って、恵子の問題が解決するとは思えない。それでも、今は自分に近い境遇の子供と話したかった。
 公園の敷地に足を踏み入れると、長髪のくたびれた服を着た少年の姿が真っ先に目に入った。
 晴彦だ。普段よりも大幅に後れたにも関わらず、待っていてくれたらしい。
「雪奈ちゃん!」
 晴彦が雪奈の方に顔を向けて、弾んだ声を上げる。
「今日は遅かったね。何かあったの?」
「うん。少し、用事があって」
「よかった。図々しいこと言ったから、嫌われちゃったんだと思っていた」
 晴彦と話しながら雪奈はベンチに腰を下ろし、通学鞄をおく。
(そう。違う。こんな子が、酷い事を出来るわけがない)
「そうだ。これ、プレゼント」
 言いながら、晴彦がポケットの中をまさぐる。
「父さんの仕事を手伝っている最中に見つけたんだ」
 そう言って差し出された物体を見て雪奈は息を飲んだ。
 見覚えがある、血の付いたキーホルダー。たしか、数日前、幡野恵子が雑誌の懸賞で当てたことを誇らしげに話していた。
 雪奈の驚いた様子を見たのか、晴彦が眼を伏せる。
「ごめん、ちゃんと洗った筈なのに……すぐに、洗い直すよ」
 晴彦が立ち上がり、水飲み場に向けて走り出そうとする。
 すぐさま、雪奈は彼の服の裾をつかんだ。
 晴彦が怪訝そうな表情で雪奈に顔を向ける。
「ねぇ。最近、この辺りに出ている未確認の強盗、貴方なの?」
「それは……」
「答えて」
 晴彦が視線を逸らす。
「……うん。僕がやっているんだ」
 雪奈の視界が揺れる。堅いはずの地面が不確かになったような錯覚と共に、顔から血の気が失せていく。
「どうして?」
「仕事だから」
 清彦が事も無げに言う。
「父さんに手伝えって言われているんだ。上手く手伝えれば褒めてくれるし……」
 清彦の嬉しそうな声が響く。その響きは、幡野恵子が小遣いを貰うために努力していると言った時と酷似していた。
「……そう言うの、良くないと思う」
 拳を握りしめ、雪奈は絞り出すように言う。
「恵子ちゃん、何も悪い事をしていないのに、そんな風に酷いことをして良いはずがない」
 雪奈の言葉を、晴彦が目を点にして聞いていた。
 だが、数秒するとその表情が平素のものとなり、眉が一気につり上がる。
「勝手なことを言わないでくれ」
 晴彦が呟く。今まで雪奈が聞いたことがない、険しい声だった。
「君がそんなことを言えるのもお金がある人に拾われて、学校に通っているからじゃないか! それなのに、勝手な理屈で僕たちを批判して!」
「違う! 勝手なのは……」
「君だって、昔は僕と同じ様な生活をしていたはずだ! 君に僕を批判する資格はないんじゃないか」
 その言葉に、思わず雪奈は口を紡ぐ。
「君なんかと、友達になるんじゃなかった」
 晴彦の手の中から、くぐもった音が響く。恵子のキーホルダーが握りつぶされる音だろう。
「さようなら。もう、二度と会いたくない」
 それだけ言って晴彦が背中を見せて去っていく。
 その姿を、雪奈は打ちひしがれた表情で見送ることしかできなかった。

 晴彦の姿が消えてからしばらくしてから、雪奈も自宅の……大千葉探偵事務所に向けて歩き出した。
 地面を見つめたまま、一歩ずつゆっくりと足を踏み出す。
 晴彦の指摘は事実だ。ATO・ミスクズ同盟に目を付けられる前、雪奈は親の命令で窃盗に何度も手を出していた。現在、曲がりなりにも学校に通学できているのはATO時代の管理者が……即ち、大千葉二郎が学費などを捻出することが出来るからだ。
 自分が、今の晴彦の行いを批判する資格はない。
 だからと言って、恵子のような親切な同級生に危害を加え、やり場のない怒りにと悲しみで涙を流させる真似が正しい訳がない。
「どうした、雪奈ちゃん」
 背後から声をかけられ、雪奈は足を止める。
 振り向くと、よく知った男が雪奈を見つめていた。
 島津正人。秘密結社テクジスの壊滅で活躍した男だ。元々は士官型改造人間としてテクジスに所属していたが、その後はバルログに所属して、テクジスの壊滅まで戦い抜いた。雪奈とは、テクジスが存在していた頃からのつきあいになる。
「何でもない」
 そう言って、雪奈は正面に向き直る。島津正人のことを信用していないわけではない。だが、自分が直面している問題を全部伝える気にもなれなかった。
 雪奈の歩調にあわせて、正人が歩き出す。行き先は雪奈の自宅……大千葉探偵事務所だろう。島津正人は改造人間である。それも、雪奈のような実験体ではない。テクジスによって全身にわたる遺伝子改造と人工臓器の埋め込みによって製造された士官型改造人間だ。その戦闘力を活かし、テクジス残党の事件を二郎と共同で解決することも多い。今日もテクジスやATO・ミスクズ同盟の残党と……おそらくは、晴彦やその保護者との戦闘を想定して、二郎に呼ばれた事は想像がつく。
「ねぇ、正人」
 正面を向いたまま、雪奈は歩みを止めずに口を開く。
「もし、もし、もう一人の貴方みたいな存在に出会ったら、どうする?」
「怪談かい?」
「そうじゃない。きちんとした別の人で、その人が恵瑠や可憐や二郎みたいな存在にあわなかった自分みたいな人で、悪いことをしようとしていたら、貴方はどうする」
「止めるさ」
 正人が静かな声で言う。
「戦って……場合によっては命を奪ってでも止める」
 雪奈は思わず足を止めて振り返る。自然な表情で、正人が雪奈を見つめていた。
「相手が、もう一人の自分みたいな存在でも?」
 正人が頷く。
「少なくとも、今まではそうしてきたつもりだよ」
 正人の言葉に、雪奈は目を丸くする。
「君が知っているように、俺は元々テクジスの士官だ。もし脱走していなければ、あいつ等がやった作戦のいくつかは俺が実行していたかもしれない。出戻り組として、懲りずに誰かを傷つけていたかもしれない」
 そこまで言って、正人が膝を曲げて雪奈に目線を合わせる。
「だからと言って、あいつ等が君や恵瑠さんを戦いに巻き込んで良い理由は無い。もちろん、他の人に対しても同じ事をしたら駄目だ」
 雪奈は無言で正人を見つめる。
「俺だけじゃない。大千葉さんや藤山や他のバルログの連中だってそうだと思う」
 雪奈は自分の胸に手をおく。
「だから、今も仮面ライダーとして戦うの?」
「そうだ。特に暴れた奴が改造人間だった場合、相手になるのは同じ改造人間だからね」
 雪奈は長手袋に覆われた自分の右腕を見つめる。その下には、改造人間の腕が隠されている。正人よりは格下であっても、人間を遙かに越えた存在と戦える力だ。
「ありがとう」
 顔を上げて、雪奈は正人をまっすぐに見つめる。
「自分がしないと行けないこと、ちゃんと分かった」
 そう言うと、雪奈は正人に背を向けて走り出す。
「雪奈ちゃん!」
「先に家に帰っている」
 そう言いながら、雪奈は自宅へと向けて走り出した。振り向いて、事情を説明する時間はない。急いで、自転車で出かけなければ行けない用事が出来てしまった。


東京都広川市南区
19時29分

 日が落ちて暗くなりつつある町の中を、雪奈は自転車で走っていた。いい加減帰宅しないと二郎に怒られるが、晴彦を見つけられないまま帰宅するわけには行かない。
 雪奈なりではあるが、晴彦が潜みそうな場所には心当たりがある。テクジスの攻撃によって壊滅的な打撃を受ける前から、広川市ではドーナツ化現象が進んでおり、市街地にも関わらず人の目が届きにくい地域が存在した。テクジスが壊滅した後は復興が後回しにされ一層の荒廃が進んでいる。晴彦達が潜んでいるとすれば、そんな地域だろう。
 3つ目の候補地を探っていると、不意に物音をとらえた。
 物音が聞こえた方向に駆けていくと、晴彦が成人男性と共に立っていた。
「君は……」
 晴彦が不機嫌そうに眉をつり上げる。
「お前の知り合いか?」
 男の質問に、晴彦が無言で頷く。
「何をしにきたの?」
「貴方を止めにきた」
 雪奈は静かな声で言う。
「どんな理由があっても、貴方がやっている事が正しくなるとは思えない」
「調子に乗るなよ。君だって、昔やっていた生活じゃないか」
「だから止めるの」
 晴彦をまっすぐに見つめつつ、雪奈は眼帯に手をかける。
「貴方とよく似た境遇と力を持っているからこそ、貴方は私が止める」
 正人の言葉が、雪奈の脳裏をよぎる。島津正人は、自分が敵であるテクジスと同じ事をして居ていたかもしれないことを認識しつつ、力のない人のために力を使ってきた。二郎も同様の事を考えながら、雪奈のためにATO・ミスクズ同盟を裏切る決意をしたはずだ。その他の雪奈が好意を持てる大人達も彼らと同じ行動をとってきた。ならば……自分も同じように行動するべきだ。
「貴方に対する、仮面ライダーとして」
 眼帯がむしり取られ、雪奈の左目に埋め込まれたアリノロジーの単眼が露わになった。雪奈の視界が一気に鮮明になる。同時に、かすかな頭痛が雪奈を襲う。
「要するに、俺たちの邪魔をしに来たってわけだ」
 男が一頻り歯ぎしりをした後、拳を握って晴彦をにらむ。
「お前がまいた種だ。きっちり片を付けろ」
「うん、分かっている」
 肩をすくませ、震える声で晴彦が答えた。
 アリノロジーの外骨格で覆われた右手を前につきだし、腰を落とす。
 雪奈も同様に構える。雪奈も晴彦も、全身を改造されたわけではない。改造された部位を、即ち強力な攻撃力と防御力を兼ね備えている部位を敵の正面に晒すように構えるのは、至極当然のことだ。
 晴彦を睨みつつ、雪奈は思案する。迂闊に動くことは出来ない。改造人間の力は強大だ。改造されていない部位に相手の攻撃が当たればその部位は完全に破壊されてしまう。正人のように全身が改造された改造人間ならば、一発受ける前提でつっこむことも出来るが、雪奈や晴彦が同様の戦法を採ることは自殺行為だ。
 何とかして隙を作らない限り、この膠着状態は続く。
 晴彦を止めるだけならそれでもよいが、彼の保護者である男が乱入してくる可能性もある。できれば、男が雪奈を侮っているうちに決着をつけたい。
 不意に、晴彦が雪奈に向けて突進してきた。
 雪奈は顎を引いて拳を握る。
 雪奈が上体を反らすと、鼻先を晴彦のつま先が掠めた。
 雪奈は勝利を確信する。
 無防備になった晴彦の背中に向けて拳撃を放とうとしたとき……
 何かが、風を切って雪奈に向けて飛んできた。
 雪奈はとっさに右手を翳す。
 右腕に激痛が走り、雪奈の体が吹き飛ばされる。
 アパートの壁に、雪奈の背中がたたきつけられる。妙に背中が熱い。出血が酷いのだろう。
 顔を上げると、晴彦が独楽のように回転しながら、雪奈めがけて跳躍していた。
 雪奈はとっさにその場から飛び退く。轟音が響き、マンション全体が揺れる。コンクリートの破片が周囲に舞う。
 先ほどまで自分が居た場所を見ると、晴彦がこちらを睨んでいた。その右足は、コンクリートの壁に突き刺さっている。回避が後れていれば、雪奈の頭は砕かれていたはずだ。
(やっかいな戦い方……)
 心中で毒づきながら、雪奈は立ち上がる。テクジス健在時の集団戦では、今の晴彦の戦法は到底使い物にならない。だが、現在のように自分たちと似た境遇の存在と1体1で戦う場合、弱点を隠しつつ攻撃する攻防一体の優れた戦法に変わる。保護者と共に道を踏み外していく過程で、同族同士の戦いを何度も繰りひろげた事により身につけた戦技だろう。雪奈が付け焼き刃的に晴彦と同じ戦法を使っても、勝ち目はない。
 右腕や足の付け根の痛みに、雪奈は顔をしかめる。
 右の肩口を横目で見ると、服が雪奈の出血で赤く染まっていた。おそらく、ズボンの股関節の周辺も同じように汚れているはずだ。晴彦の攻撃を防御したり回避するために力を使った反動だろう。体の一部しか改造されていない雪奈達実験体がその能力を発揮した場合、その反動で改造されていない部分に大きな負荷がかかる。今の雪奈の出血もそうした反動によるものだ。
 反動。
 その単語を思い起こしつつ、雪奈は晴彦を見つめる。
「何か思いついたつもりみたいだけど、無駄だ!」
 晴彦が雪奈に突進してきた。
 すぐさま跳躍して回避。
 地面に足が着く前に自分の意識を左目に集中させる。
 晴彦の動きが鮮明になる。左目に移植されたアリノロジーの単眼と義神経がもたらした動体視力の恩恵だ。雪奈の身体能力自体に変化はないが、相手の攻撃を回避するための補助としては役に立つ。
 鮮明になった視界の中、晴彦が雪奈の着地点に向けて跳躍していた。体を独楽のように回転させている。着地した瞬間をねらい、連撃をたたき込むつもりなのだろう。
 着地した雪奈は、晴彦の動きを凝視する。今の動体視力ならば、普段よりも晴彦の攻撃を引き寄せてから回避することが可能だ。
 晴彦と雪奈との間合いが急速に縮まり……
 一撃目の回し蹴りが当たるぎりぎりのタイミングで、再び後方に跳躍。
 雪奈の頭部に鈍い痛みが走る。アリノロジーの目から送られてくる情報を、人間の頭脳で処理しようとした反動によるもだ。
 痛みに顔をしかめている間に、晴彦が再び体を回転させつつ接近。
 先ほどよりもほんの少しだけテンポを遅らせて、再び後方に跳躍。
 体が嫌に重い。気づけば、ズボンが血で染まっていた。雪奈の体と脚との接合部からの出血量が増えている。
(大丈夫……)
 焦りを押さえるため、雪奈は心中で呟く。雪奈の推察が間違っていなければ、このやりとりはもうじき終わる。
 雪奈に追撃を駆けるためか、晴彦が膝を曲げ……
 そのまま、コンクリートの床に崩れ落ちた。
 険しい表情を崩さず、雪奈は安堵の息をはく。
「馬鹿な、いったい何が……」
「力を使った反動……」
 驚愕する幸彦に、雪奈は静かな声で告げる。
「嘘だ! 僕は反動を克服した。最近は痛みを感じた事なんて無かったんだ!!」
「それは、痛みになれただけ。反動や拒否反応を克服した訳じゃない」
 晴彦が大きく目を見開く。朝食の時に二郎が言っていた。痛みに慣れ、脳が苦痛を感じないようになっても、現実に体は傷ついていく。雪奈との戦いの最中に、体からの危険信号を無視して自分の体を酷使した限界が訪れた。雪奈の回避行動のねらいは、晴彦に肉体を酷使させるために、全力での追撃を何度も誘発させることにあった。
 晴彦の嗚咽が辺りに響く。目を凝らすと、むき出しのコンクリートに涙がしみこんでいた。嗚咽に混じり、男が舌打ちをする耳障りな音も聞こえる。
 雪奈は拳を握り、晴彦に近づく。人を傷つけるのは初めてではない。正人や二郎が他者の命を奪う様も何度も目にした。
 自分の周囲の大人達がそうしてきた様に、後はもう一人の自分とでも言うべき少年の頭を砕くだけだ。それで、戦いは次の段階に進む。
 晴彦が涙を溜めた眼差しで雪奈を見つめている。
 雪奈は歩みを止めず、晴彦の傍らに立つ。後は、改造されていない部位を踏み砕くだけだ。
 ふと、何かが風を切る音が響いた。
 慌てて、雪奈は顔を上げる。
 全身が鱗に覆われた改造人間が……テクジスが健在の頃はドクトカゲノロジーと呼ばれたであろう改造人間が雪奈と晴彦に向けて飛びかかってきていた。おそらく、晴彦の保護者が変身した姿だろう。
 雪奈は呆然とドクトカゲノロジーを見つめる。相手は全身を改造した士官型改造人間。スピードも攻撃力も、雪奈や晴彦とは比較にならない。事前に攻撃を察知できたのならば兎に角、今から逃げることは出来ない。
 体を硬直させたまま、自分の命を奪おうとする新たな敵を呆然と見つめている。雪奈だけではない。自力で動けないほどの損傷を受けた晴彦も、攻撃の余波で重傷を負うか、絶命するかもしれない。邪魔をした雪奈ともはや役に立たない晴彦をまとめて始末するつもりだろう。
「させるか!」
 叫び声が響くと同時に、雪奈の背中を光が照らした。
 直後、腰部を発行させた別の影が雪奈の背後から飛びかかり、ドクトカゲノロジーを蹴り飛ばす。
 雪奈は呆然として、乱入者を見つめる。
 緑色の積層装甲に深紅の複眼。
 額からは2本の触覚が延びている。
 テクジスの士官型改造人間、バッタノロジーだ。現在、雪奈の近くに現れるバッタノロジーと言えば限られている。
「正人!」
「雪奈ちゃん。無事か」
 ドクトカゲノロジーを見据えたまま、バッタノロジー=島津正人が言う。
「よく頑張った。後は俺に任せて逃げるんだ。近くに、エルが待機している」
 正人の言葉を受けて、雪奈はマンションから脱出しようとする。
 と、不意に晴彦の姿が目に入った。強盗にまで手を染めておきながら、雪奈とまとめて信じていた保護者に始末されようとしていた少年。
「あなたも、一緒に来て」
 晴彦に向けて、雪奈は手を伸ばす。
「このまま、泥棒を続けたい?」
 雪奈の問いに、晴彦が目を反らした。ドクトカゲノロジーがマンションの床を蹴る音と、バッタノロジー=島津正人がその突進を受け止める音が辺りに響く。
「僕は、一度も学校に行ったことがない」
 晴彦がか細い声で言う。
「勉強が分かるわけがない。今の君みたいに、生きれるものか」
「生きれる!」
 晴彦が目を丸くして雪奈に顔を向ける。
「貴方が言っていた。貴方は、良い大人に巡り会えただけの私にすぎないって。それなら、貴方も良い人に巡り会えば、今の私と同じように生きれる。辛い事もたくさんあるけど……誰かの顔色をうかがって、泥棒して、怒られるだけの人生から卒業できる」
 呆然とした表情で、晴彦が雪奈を見つめる。
「騙されるな!」
 ドクトカゲノロジーの声が響く。
「そんな都合のいい話、ある訳ないだろ」
「ある!」
 ドクトカゲノロジーに向け、雪奈は叫ぶ。
「今まで知る機会がなかっただけで、違う人生を選ぶ方法は必ずある。だから今、私は貴方達の邪魔をしている。正人も、私を助けてくれている」
「ガキが、知った口を……」
 ドクトカゲノロジーが忌々しい気にうめき声を上げる。
 と、
「僕も、そっちの道を選びたい」
 晴彦が、小さな声で言った。
「今の君のように、泥棒をしないで学校に行きたい」
「お、おい……」
 ドクトカゲノロジーが弱々しく呟く中、雪奈は再度晴彦に手をさしのべる。
 拒否反応と力を使いすぎた反動に顔をゆがめつつも、晴彦が雪奈の手をつかんだ。
 一気に持ち上げた晴彦の体を支えると、今度こそ、士官型改造人間同士の戦いに背を向けてマンションの外へと向かう。
 ドクトカゲノロジーが背後から悲痛な叫び声をあげている。
 晴彦がその声に振り向くことはなかった。

「行くな! そんな普通の生活をしようとしても、苦しむだけだぞ」
 突如乱入してきたバッタノロジーに拳を押さえつけられながら、ドクトカゲノロジーは去りゆく子ども達に悲痛な叫びをあげた。
 テクジスを脱走し、ATO・ミスクズ同盟に鞍替えして以来、彼の人生は晴彦と共にあった。役立たずと罵ったこともあった。戦闘形態に変身した上で、苛立ちをぶつけたこともある。それでも、彼の人生は晴彦という実験体の少年と共にあった。少年に力強い態度で指示をしているときが、自分が役立たずではない事を証明し、ドクトカゲノロジーに安堵感をもたらしていた。役に立たないと判断したため、雪奈とか言う少女諸共殺そうとしたが、それとて本意ではない。晴彦の治療をする予定は全くないが、それでも側にいてほしかった。
「で、お前はどうするよ」
 乱入してきたバッタノロジーが、両手足首の光冷却システム「LVS」を輝かせながら言う。
「色々と悔い改めて職探しをするって言うなら、あの小さな仮面ライダーの方針を引き継いでも良いぞ」
「ほざけ!」
 叫び声と共に、ドクトカゲノロジーは口から毒液を吐き出す。
 直後、バッタノロジーが跳躍し、ドクトカゲノロジーから距離をとる。
「俺に他の生き方は無い。上の命令があろうが無かろうが、力でぶつかり、力でほしいものを勝ち取る。平和な生活に適合しているエリート様が口を出すな!」
「そうかい」
 どことなく寂しそうな声で、バッタノロジーが言う。
「だったら、いつものようにやらせて貰う。バルログの、2人目の仮面ライダーとしてな」
 その言葉を聞き、ドクトカゲノロジーは顔をしかめる。
 バルログと言う組織のことは知っている。ATO・ミスクズ同盟とは別の立場からテクジスに戦いを挑み、最終的に首領を討ち取る大戦果をあげた組織だ。
 そのバルログ最強クラスの改造人間2人が、「仮面ライダー」を名乗っていたことも知っている。
 そう言えば、目の前にいるバッタノロジーは少女から「まさと」と呼ばれていた。
「そうか、お前が……」
 仮面ライダークラント・島津正人。テクジス首領が討ち取られる事になった阿修羅谷攻略に参加しテクジスの秘密兵器である対消滅砲を親衛隊諸共撃破した、強力な改造人間だ。
 ドクトカゲノロジーが驚愕する中、バッタノロジー……否、仮面ライダークラントが右足にエネルギーを集中させた跳び蹴り「ライダーキック」を放つ。
 ドクトカゲノロジーが絶命し、その体が爆発四散するのはその僅か数秒後の事だった。


2日後
東京都広川市南区 猫カフェ「ミック」
12時10分

 雪奈は晴彦や正人ともに、かつてバルログの最高責任者だった男、大森藤兵ェが経営するカフェの前に居た。
 保護された後、晴彦は藤兵ェが経営する猫カフェで預かることになった。通常の児童養護施設では、改造人間の実験体の受け入れは困難だと判断されてのことだ。正人達、旧アサクモ研究所職員のうち経済的な余裕がある者が引き取ることも検討されたが、晴彦の経歴を考えると、テクジスやATO・ミスクズ同盟構成員の社会復帰を目的としている団体の方が受け入れ先として適していると周囲の大人たちは判断したらしい。
 この後は藤兵ェや従業員が話し合いながら、適切と思われる引き取り手が選ばれる予定だという。
「じゃあ、おやっさん。後は、お願いします」
「分かった」
 二郎に言うと、藤兵ェは晴彦に目線を会わせる。
「晴彦君。よろしくな」
 藤兵ェが挨拶すると、晴彦がおそるおそる頭を下げる。
「今日から、色々なところに行けるよう、一緒にがんばっていこう」
「……は、はい」
 おびえ混じりに晴彦が答える。
 藤兵ェは晴彦の態度を気にする素振りも見せずに、二郎に向き直る。今日までの10年以上の期間で熟成された、晴彦の大人への不信感はそう簡単に拭いきれるものではない。その事を理解しているのだろう。
 晴彦が健全な生活を送る上で必要な薬の調達や診察については、雪奈同様、旧アサクモ研究所の職員が経営する私立病院で行うことにした。他の出戻り組から敵視されないために旧バルログの面々との関係を出来るだけ断ってきた藤兵ェとしては苦渋の選択の筈だが、少なくとも雪奈に不満そうな態度を見せることはなかった。
「あの……」
 大人たちの話し合いをよそに、髪を切りそろえ、服を新調した晴彦が口を開く。
「時々、遊びに来てくれる?」
 晴彦の問いに、雪奈は頷く。頻繁に来ることは出来ないが、それでも、一般社会で生きる実験体の同志が出来たことは心強い。
「余裕ができたら、携帯の連絡先も教えて」
「うん」
「雪奈。そろそろ帰るぞ」
 二郎の声が響く。大人たちの話し合いは終わったらしい。
 二郎の声に従い、乗用車に乗り込む。
 雪奈がシートベルトをした事を知らせると、車のエンジンが始動し、藤兵ェの猫カフェが遠ざかっていく。
 リアウィンドウをのぞくと、晴彦が名残惜しそうに雪奈を見ていた。
 だが、やがて藤兵ェに促され、大勢の大人と共に店内に消えていく。
 晴彦の姿が見えなくなったことを確認すると、雪奈は後部座席に座り直して、携帯電話を開く。
 新着のメールが届いていた。
 送信者は幡野恵子。
 内容を確認すると、リハビリが順調にいっていることと、転校しても友達で居てほしい、悩みがあるならら変わらずに相談に乗りたいと言う文章がつづられていた。雪奈の素性を知らずとも、親身に接してくれる友人が居ること事態は嬉しい。
「なんか、良いことでもあったのか?」
「内緒」
「そっか」
 雪奈の返答に深入りすることをせずに、二郎が運転を続ける。
 車の心地よい揺れに身をゆだねながら、雪奈は口を開く。
「ねぇ、二郎。いつから、私のこと見張ってていたの」
「何のことだ?」
「晴彦と戦っている最中、正人がものすごく良いタイミングで助けに来た」
 言いつつ、バックミラーを伺う。二郎の表情が微かに強ばっている。雪奈にとっては、その表情が何よりの回答だった。
「お前が恵子ちゃんの病院に行くとき、すでに島津に頼んでいた」
 憮然とした声で二郎が言う。
 雪奈は思わず頬を膨らませる。我が保護者ながら、10歳にもなる女子のプライバシーをなんだと思っているのか問いつめたかった。
「朝から様子がおかしかったから、心配だったんだよ」
 すねたような声のいいわけを、雪奈は聞き逃す。二郎にしろ正人にしろ、平然と10歳女子をつけ回し、プライバシーを暴くことを罪とも思っていない男であることは、今後のために覚えておかなければならない。
「って言うか、話を聞く限り島津の奴がお前を煽ったような流れなんだが」
「あれは、あれでよかった」
 雪奈は静かな声で言う。雪奈が悩みを打ち明けたとき、正人は適当な嘘を言ってでも、雪奈を危険から遠ざけるべきだったと二郎は考えているのだろう。だが、雪奈自身は正人が自分の本心を話してくれてよかったと思う。あの場面で自分の本心を話す正人だからこそ、その私生活が恋人のヒモであろうとも彼に心を許すことが出来る。
「そうかい」
 不承不承、と言いたげな口調で二郎が言う。
 運転しながら、小声で不満を吐き続ける二郎を見ながら、雪奈は考える。
 今の自分は、不幸ではない。
 学校では、自分は孤独だ。自分と同じ境遇の友人は居ないし、自分に味方をしてくれた少女も居なくなってしまった。
 だが、学校を出ればこんなに自分を気にかけてくれる大人がいる。同年代の友人もいる。
 二郎の愚痴を満足げな表情で聞きながら、雪奈は親友への返信メールを打ち始めた。

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