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ベロニカはママになった


 美しい琴の音色の調子をとるように、炎が爆ぜる。
 一人の若者はその光景を落ち着いたまなざしで見つめていた。
 若者はある王国から指名手配をされている身の上だった。犯罪を犯したわけではない。ただ、有る能力と使命を持っていることを理由に、とある王が悪魔の子として認識された。それだけが、指名手配の理由だった。
 若者の名は、勇者イレブン。
 そのイレブンもふとした偶然から生まれ故郷とは異なる大陸にたどり着き、幾人かの仲間と出会い、ようやっと平安な一時を手に入れていた。
 周囲を見ると、イレブンの仲間たちは思い思いの作業を行いながら炎を囲んでいた。数日前まで滞在していた、ホムラの里で知り合った女性、セーニャは琴を奏でている。デルカダール王国からともに旅をしてきた、盗賊のカミュは、その琴の音を聞きながら、少し離れたところで短剣を研いでいる。
 そして……
 イレブンは最後の一人に視線を移す。
 金色の頭髪を三つ編みにした少女が、うっとりとした顔つきでたき火を眺めていた。背丈は、イレブンの腰ほどもない。黄金の髪が、時折炎を反射して赤く輝いている。
 少女の名はベロニカ。
 琴の奏者であるセーニャの双子の姉で、本来ならばイレブンやカミュと同年代の女性だ。
 だが、有る事件に巻き込まれ年齢と魔力を吸い取られてしまった。
 幸い、事件の犯人である魔物を倒したために魔力は元に戻ったが、年齢までは元に戻らなかった為、未だに少女……もとい、幼女の姿のままだ。
 卓越した魔力の持ち主で、イレブンやカミュが剣で倒すしかない魔物たちを呪文で一掃できる、頼りになる仲間だ。 
 何よりも、デルカダール王国から悪魔として負われる中、イレブンを信頼し、妹のセーニャとともに、彼を守ると言ってくれた。それも、イレブンの素性を知った上でだ。
 その言葉にどれだけ救われたか、言葉では表現できない。
「ねぇ、ベロニカ、聞いてくれるかい?」
 イレブンに声をかけられ、ベロニカがこちらに顔を向ける。
「君に頼みがあるんだ」
「何?」
 イレブンはベロニカの青い眼をのぞき込む。水鏡のようなベロニカの瞳はイレブンの真剣な面もちを映し出していた。
「僕のママになってほしい」
「いやよ」
 セーニャが奏でていた筈の琴の音がとぎれる。カミュが愛用の短剣を地面に落とした音まで聞こえる。
 イレブンは気を落ち着ける。有る程度、予想はしていたことだ。ベロニカとは知り合ってから日も浅い。そんなときに、いきなり同年代の男性から母親になってほしいと頼まれて驚かない女性はいないだろう。
 イレブンは、ゆっくりと落ち着いた調子でベロニカに言葉を続ける。。
「ベロニカ、僕は何も恋人になってほしいって言っているんじゃない。ただ、赤ちゃんみたいに君に甘えさせてほしいだけなんだ」
「恋人でもない女の子にそう言うのやらせるとか、変質者そのものじゃない!」
 ベロニカの冷たい声が、イレブンの胸に突き刺さる。どう言うわけか、まなざしまで冷たくなっていた。
「自分と同じくらいの年の女の子が母親って状況に、疑問は感じないの?」
「まったく」
 イレブンは気を取り直して続ける。
「僕を生んでくれた女性は生みの母。母さんは……故郷で僕を育ててくれた女性は育ての母。そして、君は心の母だ。心の母に年齢は関係ない」
「何、訳が分かんないこと言っているのよ! 大体、良い年をしてママに甘えるなんて、恥ずかしいと思わない?」
「実の母や育ての母に甘えることは恥ずかしい事さ。でも、甘える相手が心の母なら話は別だよ」
「何それ? 意味分かんない!」
「まぁ、その、何だ」
 不意に、カミュがイレブンの肩に手を置く。
 振り向くと、カミュの顔にはひきつった笑みが貼り付いていた。
「遠回しな、告白だったんだよな、うん」
 ひきつった表情のまま、カミュが続ける。
 はたと、イレブンは手を叩いた。
「すまない、カミュ」
 そう言うと、カミュが言葉を止めて眼を丸める。
「ベロニカに言うよりも、君にこそちゃんと伝えるべきだった」
 そう言うと、イレブンはカミュに向き直り、またしても、彼の瞳をまっすぐに見据える。
 カミュが目を丸くしたまま、イレブンを見つめ返している。
 そのカミュに、イレブンははっきりとした言葉で告げる。
「すまない、カミュ。やっぱり、僕は君を母親にすることはできない」
 カミュの目が点になった、そのまま口を半開きにしたまま固まっている。ふと、周りを確認すると、先ほどまでイレブンに辛らつな言葉を吐いていたベロニカまでも固まっている。
 イレブンは思わず顎に手を当てる。変なことを言った覚えはない。とはいえ、現実にカミュが自分の言葉を理解できていないことも事実だ。
 イレブンは気持ちを落ち着け、カミュの肩に手を置く。
「カミュ、君には本当に感謝している。デルカダールで捕まってから、君に何度助けられたかわからない」
 言いつつ、イレブンは故郷を旅立ってから今までのことを思い起こす。もし、カミュと出会っていなければ、自分はデルカダールの地下牢の中で朽ちていただろう。脱獄に成功してからも、それまでは山間の小さな村で暮らしていただけのイレブンに野営地の選び方など、様々な旅の基礎を教えてくれた。彼が居なければ、こうして、旅を続けること自体が不可能だったかもしれない。
「そんな君に母性を感じたこともあった」
「はい?」
「でもすまない。やっぱり、母親は同性よりも異性の方がいいんだ。君を母親とは思えない」
「そいつは……どうも、ありがとよ」
 青ざめた顔でカミュが礼を言う。どうやら、自分の気持ちは伝わったらしい。勝手に母親を見て、勝手に母親候補からはずす。身勝手であることは理解している。怒っていないところを見ると、カミュはイレブンの身勝手な行いを受け入れてくれたのだろう。感謝の言葉もない。
「あの〜」
 おずおずと、セーニャが口を出す。
「よくわからないんですけど、お姉さまをお母様にして、カミュさんにも親っぽい何かを感じてらっしゃるんですよね」
「そうだよ」
「でしたら、お姉さまを母親にして、カミュさんが父親と言うことにすればよろしいのでは?」
 イレブンはしばし腕を組む
「……あぁ、それなら問題ないね」
「大有りだ!」
 カミュの指摘に、イレブンは首を傾げた。セーニャの発言は筋が通っている。カミュがどこを問題視しているのかさっぱりわからない。
 ふと、ベロニカとセーニャの方を見るとベロニカがなにやらセーニャに食ってかかっていた。彼女も、セーニャの提案に得心が言っていないらしい。
「いい、セーニャ」
 口論の途中で、ベロニカがイレブンを指さす。
「この勇者には深い心の闇があることがたった今判明したわ」
 その言葉に、セーニャが目を見開いて手を打つ。
「ローシュ戦記の通りではありませんか、お姉さま」
 そのまま、感極まった声で言葉を続ける。
「勇者の光、つきる事なきまばゆさで果ては漆黒の影を生みださん。ローシュ戦記の第一章、勇者の誕生を予言した箇所です」
「……その漆黒の影って魔王の事じゃなかっけ?」
「私も、今までそう思っていました。ですが、今のイレブン様を見て気づいたんです。影とは魔王だけではなく、勇者様自身の心の中にある闇のこともさしていたのだと」
 セーニャの言葉に、イレブンは胸をなで下ろす。心の闇呼ばわりされている事がひっかかるが、セーニャはイレブンがベロニカを心の母としている事こそ勇者の証と認めてくれたらしい。やはり、ベロニカに対するこの想いは大事にした方がよい。
「なぁ、イレブン」
 脱力しきった声で、カミュが声をかけてくる。
「もう少し、勇者らしい心の闇に心当たりはないか?」
 イレブンは顔をしかめる。勇者らしい心の闇とは何か。皆目見当もつかない。なにより、それ以上に気になることがある。
「そんな事よりさっきから僕がベロニカに抱く感情を心の闇呼ばわりしているけど、そう言うのはやめてくれないかな」
 仲間たちが目を丸くしてイレブンを見つめている。
「幼女になったから母性を感じられないなんて、ベロニカに失礼じゃないか」
 そう言って、イレブンはセーニャに視線を移す。カミュとベロニカによる、ベロニカではなくお前の嗜好を否定しているんだという趣旨の言葉は無視する。
「セーニャ、君も気づいているはずだ」
 セーニャが怪訝そうに、イレブンの顔を見つめ返している。
「幼女となったことで、ベロニカの母性が一段と増していることに!」
 その言葉に、セーニャの瞳が大きく見開かれた。
 その表情のまま、ゆっくりとベロニカを見つめる。5秒。10秒と時が過ぎていく。
 やがて、セーニャ顔をイレブンの方にゆっくり戻して、口を開いた。
「申し訳有りません。私には、お姉さまの母性が増したかどうかさっぱりわかりません」
 申し訳なさそうな声色だった。
 そんなセーニャの両肩に、イレブンは優しく手を乗せる。
「謝る必要はないよ。セーニャ。わからないことは何も恥ずかしい事じゃない」
 セーニャがはっとして顔を上げる。
「君は今、分からないと言うことを知った。だったら、これから少しずつ気づいていけばいいじゃないか」
 イレブンは優しい声で、セーニャに語りかける。背後で、ベロニカとカミュが「そう言う事じゃないから」と声をそろえている様な気がするが、きっと気のせいだろう。
「セーニャ。これから、ベロニカの母性を思う存分感じていこう。僕と一緒に……」
「……イレブン様と、一緒に?」
 セーニャの頬が紅潮した。心なしか、目が潤んでいるようにも思える。
 しばらく、感極まったような表情でイレブンを見つめ返していたが、ゆっくりとその口を開き、はっきりとした声で返事をした。
「よろこんで……」
 どことなく照れくさそうに、セーニャが答える。
 背後で、ベロニカの声にならない叫びが響いている。きっと、双子の妹が自分の母性を探す決心をしたことに対して深く感動しているのだろう。ほかの理由は考えられない。
 振り向くと、ベロニカがなぜか地面に突っ伏していた。
「もう、いや」
 ベロニカの泣きそうな声が響く。
「勇者は心の闇が深いし、妹は勇者に闇に引き込まれるし……こんな事で、使命を果たせるの?」
 そんなベロニカの肩を、カミュが優しく叩く。
「まぁ、何だ。乗りかかった船だし。その、俺も色々と相談に乗るぜ。うん」
「あんた……おもったより、良い奴ね」
 どことなく、感きわまったような声でベロニカが答える。
 事情はよく分からないが、とりあえず、ベロニカとカミュの絆も、一連のやりとりで深まったらしい。
 仲間たちの絆たちが深まった確信とともに、勇者イレブン一行の夜は更けていくのだった。

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